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病気ばかりする人

  • シリーズ2

「健康であってはいけない」

T君は小学校3年生の頃から、朝登校すると腹痛を訴えるようになりました。母親がかかりつけの病院につれていくと、別に悪いところはないといわれます。
そこで母親が「何でもないそうよ。さあ、いってらっしゃい」と元気づけますが、T君は文字通り母親にしがみついて離れようとしないのです。いわゆる不登校です。
その結果、母親が毎日T君に付き添って学校に行くようになりました。 

ところが4年生になると、今度はまぶた、くちびる、陰部などがひどく腫れて、本当に登校できない状態になってしまいました。しばらく近所の皮膚科にかかったのですが、T君の症状が母親や先生から叱られた後によく現れることから、心身相関の疾患を疑われて、心療内科に紹介されてきました。

しかし入院すると前日までひどかった顔面や陰部の腫れが、きれいに消えてしまったのです。
面接を重ねるうちに、T君の成育歴がしだいにはっきりしてきました。彼は未熟児として生まれましたが、まもなく父親が持病で入院したために、母親は夫の看病と育児に追われ、毎日を必死の思いで過ごしたといいます。

乳離れが始まってからは、よく祖母の家にあずけられ、妹の誕生(本人3歳の時)とともに、保育園にはいりました。
父親はT君が7歳の時、ガンで死亡しています。
涙の乾く暇もない母親は、T君兄妹を「鍵っ子」にして、職業訓練所に通い始めました。当時、学校にあがったばかりのT君は毎日、妹と共に母親の帰りを待ちわびていたそうです。腹痛は大体この頃から始まっています。

こうした苦境にもめげず、何とか子供たちを育てていこうとする母親の姿は、周囲の同情を誘いました。
しかし母親の育児態度を観察すると、そこには一貫性がなく、ときにはT君を不安な気持ちに追い込んでいることも明らかになってきました。

たとえば普段はT君の時間割から宿題まで一切つきっきりで世話を焼きながら、PTAの集まりで「しつけ」の話を聞くと、翌日からはまるで手の平をかえしたように「お母さんは知りませんよ。自分のことは自分でしなさい」とつっぱなるのです。

もともと甘え足りずに育ったT君は、母親の態度の急変に面食らってしまい、ますます愛情を確かめたい気持ちになるのでしょう。母親を怒らせるようなことがかりして、そのくせ叱られても叱られても、母親の後にくっついて歩くのです。

これを見た親戚の人たちが「子供をそんなに甘やかせてはダメだ。みっちり鍛えてやらねば…」と、T君を祖父の家に預けるようにすすめました。その結果、T君は祖父に朝早くからたたき起こされ、箸の上げ下ろしまでやかましくいわれるという特訓を受けることになったのです。T君の顔面や陰部が腫れる症状が出始めたのは、実はこの頃からでした。

T君の病気の場合、一見すると矛盾する現象が見られます。一方では「鍵っ子」になったり、祖父の家にあずけられたりして、日頃からしがみつきたいほど好きな母親から離されると、明らかに症状が出たり悪化したりしています。
ところがその反面、同じ母親から離れて入院すると、まだ治療が始まらない前に既に症状が消失してしまったのです。

さてこのケースで、もう一つ興味深いことは、母親には幼時から気管支喘息がありましたが、27歳の時、実母が亡くなったその日から喘息発作が消失しているという点でした。

彼女は「弱い子だ、弱い子だ」といわれ、彼女の母親は「この子はいつ死ぬのかしら…」とびくびくしながら育てたというのです。7人兄弟のうち、喘息の子は彼女一人でした。病気の子ということで、いつも母親のそばにいたそうです。

結婚してからも病気はよくならず、つきのうち何回かは必ず寝込むといった状態でした。母親から離れることのできない彼女は、夫に無理をいって母の住む町に移ってもらい、夫はそこで就職し彼女は毎日、母の顔を見に行くという生活を続けたのです。

これほどべったりと甘えていた母親が、彼女が27歳の時に病で倒れました。その日、母親が危篤だという知らせを受け、駆けつける途中で、また喘息の発作が起こりました。母親の死に目に会うのに耐えられなかったのでしょう。

その日は自宅に帰って床につきました。そして翌朝、母親の死を知らされたのですが、その日以来、彼女の発作はぴたりと止まり、今日まで12年間、まったく無症状で過ごしてきたというのです。

この点について、彼女は「死んだ母親が生前、自分が死ぬときには、お前の喘息をもって行ってやるといっていたからでしょう」と解釈しています。それと同時に、母の死によって「もう頼るものがなくなった。ここからは自分一人で立たねばならない」という決意のようなものが出て、T君の治療に当たっては、薬物療法とともに、カウンセラーが母親に対する交流分析の指導を行いました。彼女は自分の育児態度と、母が自分に示してきた態度との間に類似点があることにだんだんと気づいてきました。

さらに自分の喘息が治った過程についてもカウンセラーとともに考え、洞察を深めていきました。すなわち発作が止まったのは、生前の母親の言葉による、よい意味での自己暗示の作用もあるかも知れないが、これはやはり、母の死によって自立への道が開かれたという事実にあると考えるようになったのです。

自分の生き方についての自覚が得られると、彼女の育成態度のも変化が見られるようになってきました。急激な突き放しをセルフコントロールしながら、できるだけT君に自立の機会を与えるような方法を実行するコツを学んでいったのです。母親の変化に伴って、T君の症状も改善されていきました。

T君とその母親のお話から、交流分析がときどき使う「魔女の呪い」という言葉を学んでいただければと思います。「魔女の呪い」は呪いというほど強力に、心身の健康を阻害する力を持つのです。

まず例をあげてみましょう。
〇母親は子供に「自分のことは自分でしなさい」とうるさく言いながら「ハンカチ持ったの」「教科書を忘れていないか確かめなさい」とランドセルを開けてチェックするなど、全体ではいっさい子供の世話を焼くのです。

〇父親は「体を鍛えなさい」といろいろな運動具を買い与えます。しかし小雨や雪がちらつく日に子供が外へ野球をしに出かけようとすると「こんな日に外に出て、風邪をひいたらどうするんだ」と外出を禁止するのです。

このタイプの親は、口では自立を言いながら、体全体で「私の翼から出て行くと痛い目にあうんだぞ」という矛盾したメッセージを送り続けているのです。
ベイトソン、ヘイリーらの学者は、精神病の家族には、特に子供をジレンマに陥らせるような背反する二つの命題を同時に与えるために、子供は怒りと恐怖にすっかり振り回され、誰とも交流できなくなる素地がそこに生じるという理論(二重拘束論)を唱えています。

「健康であってはならない」という禁止令に拘束されて、ストレスの下で病気になりやすい人には、本例のように子供を無力で依存的な状態にとどめておこうとする無意識の欲求をもっている親が見られます。

例えば、子供が自立しようとすると母親はそれを反抗や悪いことのように叱ったり、怒ったりするのです。ところが逆に、子供が病気になると、今までになくやさくなって世話をするのです。こうした「悪魔の呪い」の下で、子供は親の愛情を失わないために、身体的病気の状態に身を置く習慣を作り上げていくものと思われます。

この他に、この禁止令に支配されている人には次のような状況も考えられます。
〇健康管理に無頓着で、いつの日か重篤の病気になる人(煙草をやめず、中年期に肺ガンを発見される人)

〇糖尿病などの生活習慣病の治療を途中でやめる人。

〇幼い頃から、両親の病弱や入院する姿をしばしば目撃している人。

〇弱い子と決めつけられて、普通の子のように遊んだり運動することを制限されて育った人。

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