破壊的な行動をする人1
- シリーズ2
「まともに考えてはいけない」
あるアルコール依存症患者が断酒会に入り、1年間の断酒に成功して表彰を受けた際に会場で読み上げたものの一部です。
私はようやく晴れの一年の表彰を受けることができまして、会長はじめ会員の皆様に心から厚くお礼を申し上げます。
ごうも生まれつき口べたのため、日頃から常々思っていたことを綴ってまいりましたので、発表の代わりに読んでみます。
私の父は、私が物心ついた頃には、すでに酒乱きわまりない人でした。茶椀は投げる、戸はおのでたたき破る、タンスは壊すで手のつけられないような有様でした。
父の酒乱が始まると、いつも母と兄妹で山の中に逃げ出したものです。同じ隠れるにしても、現在のように電気などの照明などあるはずはありません。松明をたけばすぐに見つかるし暗闇の中を手探りで逃げました。
冬は寒さと怖さで震えながら、また夏はヤブ蚊に攻め立てられ、幼な心に酒の存在をどれほど憎んだことでしょう。
登校の道のりは往復9キロほどです。行きはまあよいのですが、帰りが大変でした。靴に本やノート、学用品を入れたうえに、父の飲む焼酎を一升買って帰らなければなりません。
片道4,5キロの家路につくのですが、帰りつく頃は真っ暗です。同じ買い物でも焼酎だけは忘れずに買って帰るのですが、何せ小学校1,2年の頃です。よく煙草を買い忘れて帰ったものでした。
そういう時は、目玉の飛び出るほど怒られ、勉強どころではありませんでした。まず逃げることが第一だったのです。
私も高校生になった頃は、時々酒を湯飲みで飲みました。ただ「カライ」ばかりのもので、おいしいとは思えない、ただの液体でした。
昭和〇〇年、高校卒業18歳で鉄道会社に入社したのですが、職場は朝から飲んでも仕事ができるようなところでした。先輩たちに毎日のように無理にすすめられ、日を重ねるほどに酒量の増えると同時に、すっかり本物の酒飲みとなっていたのでした。
試験を受け、幸いパスして乗務員となりましたが、酒の味を知った私は、勤務中にも飲むようになり、上司にバレて降職されるという不始末を起こしてしまったのです。
先輩たちがどんなに注意してくれたか分かりませんが、すでに遅く、すっかり父親のような大酒飲みになってしまったのです。
酒をやめなければダメだと思いながらも、2日ともちません。公休前夜は腰をすえて飲み、夜の夜中であろうがおかまいなしに大声でわめき散らし、暴力をふるい、幼い頃から見てきた父同様の姿になっていたのでした。
その頃、妻は妊娠8ヶ月という大きなお腹を抱えていました。約3キロある姉の家に、何度夜逃げ同様の姿で逃げたか分かりません。残された自分は暴れ放題。道具といわず、窓、ふすま、壁など手当たり次第にたたき壊し、翌日は足の踏み場もないような惨めな有様です。
このようなことがしばしばだったので、妻はいつでも飛び出せるうように、非常持ち出し用の子供オムツとか着替えを準備している始末でした。いま考えるとかわいそうなことをしたと、しみじみ反省しています。
☆この患者さんの例を見ると、父親に酒を飲ませれば、家中が再びメチャクチャになることはわかりきっているのに、子供である本人はそれに抗議することはおろか、最も恐れ、最も嫌っている破壊的状況を容認し、さらにはそれに加担するようにすらなっていったことがわかります。
つまり「破壊的状況を容認しなくてはならない」という命令が彼の心に植えつけられたといえるでしょう。
命令に少しでも違反しようものなら、今度はたちまち自分の身に危険が降りかかってきます。自分の身の安全とひきかえに、親の狂気じみた、破壊的な指示に従うという習慣ができていったというわけです。
※このように、親の行状に対して批判したり、抗議することが一切許されない場合、子供のP、A、Cのあり方はどんな影響を受けるでしょうか。
次回はこのあたりを見ていきます。
