何でも人のせいにする人
- シリーズ2

「責任転嫁」
これは自分が犯した過ちは認めずに、相手のせいにしてしまうというゲームです。
まず日常生活の中で、この種のゲームが行われている場面をあげてみましょう。
〇親が皿洗いをしていて、コップを落として割ってしまいます。そばで遊んでいた子供に、腹立たしげに「ほら見てごらん。あんたがうるさく言うから、お母さんはコップを落としちゃったじゃないの。ダメね!」と叫びます。
この種の母親は「責任転嫁」のゲームを演じている可能性が多分にあります。
〇忙しいという理由で、子供の教育を母親に任せきりにしておきながら、通知表で子供の成績が下がったのを見ると「お前が日頃から怠けさすからこういうことになるんだ」と一方的に母親を非難する父親。
これも「責任転嫁」のゲームの可能性があります。
〇最近は少なくなりましたが、過激派学生などもそうです。彼らは自分が犯した破壊行為の責任を問われると、責任はすべて社会にあって、俺たちにはない、たとえ俺たちを責めるにしても、こういう俺たちを作ったのは社会なのだから、要するに社会が悪いのだと主張します。
同じように家庭内で暴力を振るう子がいます ー こんな子供を生んだ親が悪い。責任を取ってもらわないと困ると彼らは言い募ります。
〇病人の中には症状が少しでも悪化すると、すべてを治療者側のせいにしようとする人がいます。その代表的な訴え方は、
ー あの検査を受けてから、すべてが悪くなりました。どうしてくれますか。
ー あの先生に公替してから、すっかり逆戻りしてしまったのよ。
ー 薬が変わってから、何もかも具合が悪くなったのです。
最近の会社の風潮、教育や経済の問題についいての議論にも、この種のゲームが演じられるようです。犯罪を犯しても責任は社会の「矛盾」の方にあって、当人にはないとする議論。
教育の荒廃はみんな文部省のせいであり、体制がいけないと強調し自分の反省を常に後回しにしてしまう教師。
経済不況は、すべて政府の責任として、その責任の追及に熱中する一部の政治家や評論家たち…等々。
揚げ句の果てに、たいした被害もないのに、何十億もの政府の補償金を獲得するような行為がマスコミによって高く評価されたりもしています。
少し都合が悪くなったり、窮屈な思いをすると何がなんでも社会や政治の責任に帰し、それを追及すれば、すべてが解決するという考え方が支配しているように思われます。
こうした傾向が問題の主体的な面を見つめ、それに責任をとるという生き方を弱体化していることは否めないようです。
「責任転嫁」のゲームには、いくつかのレベルがあり、家庭内暴力に見られるような激しいものは、一筋縄ではいかない難しいタイプといえましょう。
ここでは親子や夫婦の関係、職場の上下関係などで、主に自己弁明を目的として演じられるタイプを取り上げ、そのからくりについてまとめておきましょう。
〇親密な人間関係がわずらわしく、一人になりたがっている人が演じる場合・・・「お前がうるさく言うから」手をすべらした、字を間違えた、交通事故を起こしたといわれると、周囲の人は早晩その人を敬遠して一人にしておくようになります。
男女の関係であれば、倦怠期にある夫婦が性生活を避けたり、浮気の正当化をする場合に用いることもあります。
いずれにしても「責任転嫁」のゲームが邪魔者の撃退法の一つとなっているのです。
〇主導権を行使することに自信のない人が演じる場合・・・これは特に男性に見られます。内心は今、形式的のも維持している主導権(一家の主、職場の管理職など)を喪失するのではないかという恐怖を密かに抱いています。そこで妻や部下に物事の決定を任せて、うまく運べば黙し、結果が悪ければ激しく責任を問うことによって、管理者の地位を誇示しようとするのです。
〇相手の罪悪感を刺激して、こちらの罪悪感を転化する場合・・・この種の人は、他人の欠点を指摘することに優れているのが特色です。相手は自分の落ち度やエゴステックな動機などを責められるので、恥部をあばかれたように感じます。親が思春期の子供の抗議にたじたじとなるのが、この例といえるでしょう。
相手は自分の無能さを思い知らされ、みじめな気持ちに襲われる結果になります。しかし実際には、本人が自分の欠点を認めることに苦痛を感じるあまり、それを棚上げにして逆にそれを相手に味わわせようとしているのです。
〇大学生の不登校が増えています。「諸悪の根源は母親にある」という説を聞かされて「私に問題があるのです。私の育て方が悪かったのです」とうなだれる母親が多い。また「父親不在がひ弱な大学生の原因だ」との論調の下、父親はますます引っ込み思案になる。
心理療法家のなかにも、親が悪い、子供は純粋で清く正しいと主張する人がいます。しかし大学生ともなれば、自分にも何らかの原因があると認めることが大切です。
当人と同じような親の下で育ったのに、多くは立派な青年、社会人に成長していくのですから。
