人のあら探しばかりする人
- シリーズ2

「ヒステリー糾弾」
このゲームを演じる人々は日頃から気に食わなぬ相手に、何らかの落ち度や失敗を見出すや、それを告発して執拗に攻め立てます。
攻撃に値する対象を見つけると、何年も前の旧悪を引っ張り出して執念深く相手をいたぶり恨みを晴らすことも珍しくありません。
国家によっては政治権力を巡る闘争で、この種のゲームが日常茶飯事のように行われているといっても過言ではありません。
昨日まで国家的英雄であった人物に裏切り者のレッテルを貼り、民衆の感情を煽り立てるといった勧善懲悪の芝居を披露する国があります。
あるいは国内の政治の舞台でも、大臣の失言をとらえて攻め立てることにかけては、タカのごとく鋭い政党もあるようです。これまでに妙な言質を与えてせっかく得た大臣の椅子を棒に振った政治家は何人にのぼるでしょうか。
職場や家庭においても、こうした懲罰的なゲームは行われています。例をあげてみます。
〇上司が物わかりのよい口調で「よい職場を作るために、何でも忌憚のない意見を述べて欲しい」といいます。
この言葉をまともに受けて、若い社員がある時、会社の経営方針に対する意見を率直に表明してみせます。
ところが結果は「何だ若造のくせに、生意気なことをいって…。けしからん奴だ」と叱られてその後、事あるごとに冷たい仕打ちを受けることになります。
そんなことが重なって有能な社員も、我が身可愛さに口をつぐむようになってしまいます。
〇研究所などで、部下がある課題について「こうしたい」といってくると、上司は「よかろう」と同意を示すのですが、特に明瞭な指示を与えることはしません。
ところがその後に作業上、多少の困難が生じたために相談に行くと、上司は激怒して部下の専行を徹底的に非難します。そこには部下のミスを手ぐすね引いて待ち受けていたと思われるふしがあります。
もし腹心の部下や同僚の幹部に陰で「今日はたっぷりあいつの油を絞ってやったよ」などと愉快そうに話す人がいれば、この種のゲームの常習者といえるでしょう。
〇ある父親は、財布や小銭を家の中に所かまわず、無造作に置く癖があります。ある日、子供はこれに誘われて、いくらかの金を失敬することになります。
父親はその現場を見逃さず、我が子を泥棒と決めつけて折檻を加えます。その後、子供はしばらくの間、罰としてお小遣いをもらえません。
子供が書棚の週刊誌を「黙って借りた」時や、こたつの上の煙草を「ちょっといたずらした」時も、似たような事態が起きます。
〇子供が受験に失敗すると、親は「もう勉強なんてやめて働け」「遊んでばかりいたから、自業自得だ」など、自分の期待がはずれた落胆を攻撃的な言葉でぶつけることがあります。
これは明らかに動揺した C の状態です。同時に「僕は高校をやめたい」などと子供が訴えると「よい学校に入って、よい会社に就職しないと、人生の敗北者になるんだぞ」と親自身の実感を吐露します。
思春期の受験は、子供自身の価値判断へ移っていく時期と重なるのです。親は心のギヤーをA(平常心)に切りかえて、子供が失敗をじっくり考えて乗り越えていく機会にするよう、支えてあげることが必要です。糾弾より、親自身の変化が求められているのです。
この他、頭角を現わし、出世しそうな部下をサディスティックにいじめる風潮、高い地位や巨額な富を手中にした人に対するマスコミの異常ともいうべき追及、あるいは芸能人に対する人権無視とも受け取れるスキャンダルの創作などにも、この種のゲームの例が見られます。
「ヒステリー糾弾」のゲームの結末はどうなるのでしょうか。
まず常に告発の恐怖の下にある人々は、ことなかれ主義の保身術に身をやつすようになり、やる気を失ってゆくことになります。また尻尾をつかまれまい、余計な波紋を投げかけまいという気遣いから、自分の意見や立場をはっきり打ち出すことをしなくなります。
さらには体を張ってでも部下を助けるとか、自分が不利益をこうむっても友人の秘密を守るといった、人生における大事な考え方や行動も忘れられてしまう可能性があります。
その結果は、いうまでもなく信頼関係の崩壊という危機を招くことになりかねません。
