「凸凹論」という考え方
- シリーズ3

人間らしさを知る上で自分が本来持っている「凸凹」がとても大事になってきます。
「できること・できないこと」のことを私たちは凸凹と呼んでいます。
凸凹の「凸」の部分は、努力しなくてもできてしまうこと。得意なことや、好きなことなどを指します。
一方凸凹の「凹」の部分は、努力してもなかなか上手にならないことや、やる前からくじけてしまいそうなこと。
凸と凹。この漢字、なんだか可愛らしいと思いませんか?デコトボコが補完し合っているということが漢字の形からもわかりますね。
私たちは、この凸凹とうい言葉を用いたオリジナルの理論を、日頃からとても大切にしていて、あらゆる考えの基礎にしています。
「自分自身の強みや弱みを含めた特性に気づき、受容することで結果的に他者の持つ特性をも受容できるマインドがつくられていくこと」
これが私たちが行きついた凸凹論の考え方です。この凸凹論、子供も含めて他人とのかかわりを劇的に楽にしてくれる秘策なのです。それはなぜかをお話ししていきたいとおもいます。
どうやら人は大きくやるにつれて「”できない”ということは恥ずかしいこと、できるようにならなきゃ!」というような考えが生まれていくようです。
たとえばあなたがあるメーカーに就職するとしましょう。配属先は営業部。そこではみんな同じように、営業ノルマを課されます。
でも中にはノルマの半分しか達成できない人もいれば、倍くらい軽く達成しちゃう人だっています。さらに営業は不得意だけど、広報の仕事はとても得意な人、経理なら任せてという人だっています。
人が持っている力や特性の種類はこんなにも様々なのに、同じ条件の仕事内容がただ割り振られていくのでは、うまくいきっこありません。
ひとりひとりの特性を見ていけば、仕事をうまく分担して”適材適所”となる可能性があるのに…現実社会では、なかなかそうはいきませんね。
それどころか「なんでノルマを達成できないの?」「みんな達成しているのに、社会人として失格です」などと言われ周りから責められてしまう。
“大人”らしく”会社員”らしく”親”らしく…と考えているといつのまにか重たい鎧をまとってしまうのです。
「こうあらねば」とその鎧が重くなるほどに、本来の凸凹な自分自身のカタチを忘れていきます。
挙句の果てに本来の自分を思い出そうとさえしなくなっていきます。
そうなると、とてもつまらない。貝殻や石ころなどの自然物とおんなじで、人はそれぞれ、せっかく”ちがい”を持って生まれてきたのに!
そもそもスタートラインがちがうのに”みんな”という主語で同じように扱いうとすることが、大人社会の特徴なのかもしれません。
世間では「子供の個性を大事にしよう」とか「相手を尊重しよう」とか、そういう言葉が叫ばれがちです。
でもそれってすごく難しいこと。だって実際に大人社会ではなかなかできていないですよね。
それは大人自身のせいだけではありません。
大人だって自分自身の個性を大切にされてこなかった人が多いから、どうやって人の個性を大切にしてあげればよいのかがわからないのです。
